バランシンジャーナル 第6回

 皮肉なことに、ジョージ・バランシンの父メリトン・バランチワーゼの音楽家としてのキャリアは、グルジアの首都トビリシのエリート神学校をドロップアウトしたことが起点になっている。女性とワインを好み、シルバー・ソプラノとの異名をとる美声を持ったメリトンは、音楽以外の学科が苦手だったという。

 グルジアはワイン発祥の地としてつとに名高く、古来、地方毎に固有品種のブドウでワインがつくられており、伝統的な工法で生産されるワインは、2013年12月に日本の和食と共に、ユネスコの世界遺産に登録された。グルジア出身の画家ピロスマニ(1862?〜1918)の名前を持つ、陶器ボトル入りの赤ワインを取り寄せて試飲してみたところ、ワインのウンチクに疎いわたしにも、他のどのワインとも異なるブドウが使われていることは分かった。やや甘口で、軽すぎず重すぎず、豊かでありながら、どこか素朴な味わいのワインだった。グラスを傾けていると、先般(2014年1月)、サンクトペテルブルクのレストランでグルジア料理を堪能した時の、愉悦がよみがえってきた。揚げ茄子でカッテージチーズを巻き、ミントを添えた清涼感のある冷菜、チーズを折り込んで焼き上げた、熱々の柔らかなパン〈ハチャブリ〉、挽肉と肉汁がたっぷり詰まった大ぶりのギョウザ〈ヒンカリ〉、香ばしい羊肉の串焼き〈シシャリク〉……。どの品も飾り気のない盛りつけなのだが、実に美味しく、量もたっぷりで、デザートにたどり着く前に、別腹までもが満杯になってしまった。


 

  【グルジア・ワイン「ピロスマニ」、グルジア餃子「ヒンカリ」】


 美酒と美食を存分に堪能できる土地柄ゆえ、メリトンが神学の道を中途で断念したのは、道楽好きの若者が俗世間の魅力に抗しきれなかったからではないか。グルジア料理とワインにすっかり魅了されたわたしは、そう勘ぐっていたのだが、グルジアの地勢と歴史に目を向けると、まったく違う図式が見えてくる。

 東西をヨーロッパとアジアに、南北をロシアとトルコ、アルメニア等にはさまれたグルジアは太古の時代から交通の要衝であり、それゆえ、幾度となく周辺の大国に侵略され、戦禍をこうむり、繁栄と興廃を繰り返してきた。2014年現在、外務省の「海外安全ホームページ」によると、ロシアやチェチェン共和国、北オセチア共和国と国境を接する北部の全域に対して、4段階の危険度のうち、もっとも危険な〈退避勧告〉が出されている。それ以外の地域も4番目の危険度とはいえ、渡航,滞在にあたって特別な注意を必要とするとの付記があり、依然、安穏と暮らせる場所ではないようだ。ソビエト連邦からの独立を求めるデモ隊にソ連軍が発砲し、多数の死傷者を出したトビリシ事件が起きた1989年4月9日は〈国民団結の日〉という祝日に制定されている。そもそもグルジアとロシアには確執の歴史があり、19世紀初頭にグルジアの東部がロシアに併合され、1878年に全土がロシア領となっていた。メリトンが神学校を退学したのは、まさにグルジアが自治を失った1878年のことだった。

 ロシアが汎スラヴ主義を掲げて南下政策を押し進め、グルジアへの干渉を強めていた19世紀後半、グルジアの知識人の間では自国のアイデンティティを探求する動きが高揚していた、とエリザベス・ケンドール(第5回参照)は指摘する。聖歌隊やトビリシ歌劇場の合唱団で美声を披露していたメリトンは、1883年頃からコーカサス地方の民謡の収集を始め、 口承されていた歌を採譜・編曲し、自ら組織した合唱団を率いてトビリシやクタイシで公演を行ない、グルジアの伝承音楽の魅力を多くの人々に紹介した。1895年以降はグルジアはもとより、ロシア中央部、ウクライナ、ポーランド、バルト諸国をも巡演している。 独自の言語と文字、文化を持つ由緒ある国でありながら、ロシア帝国に従属せざるを得なかったその当時、メリトンの活動がグルジアの民衆の心を奮い立たせたことは想像に難くない。


    【「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」(2014年6月18日~9月1日、国立新美術館)より、バレエ『タマール』のオリジナル衣裳】
東京・六本木の国立新美術館で開催されたバレエ・リュスの衣裳展で、メリトンのオペラ処女作『ずるいタマラ』と同じく、グルジアの王女タマルを主人公にしたバレエ『タマール』のオリジナル衣裳が展示された。
中央が、1912年にパリで初演された際にタマーラ・カルサヴィーナが着用した、標題役のオリジナル衣裳。男性の衣裳(向かって右)は、コーカサスのチェルス人の伝統的な衣裳を基本にしている。ライフル銃の弾丸をおさめる筒状の胸ポケットが、グルジアの民族衣裳を連想させる。

  • 初演:1912年5月20日、シャトレ座(パリ)、セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュス
  • 衣裳・舞台美術デザイン:レオン・バクスト
  • 音楽:ミリー・アレクセイヴィチ・バラキレフ
  • 振付:ミハイル・フォーキン
  • 所蔵:オーストラリア国立美術館

 1897年には、メリトンはオペラ処女作『ずるいタマラ』の抜粋版をサンクトペテルブルクの貴族ホール(現在は、サンクトペテルブルク交響楽団が常駐するショスタコーヴィチ記念ホール)で初演した。同作はグルジアを題材にした初のオペラで、標題役の女王タマラ(グルジア語表記はთამარი。語尾に“i”に相当する文字がついているため、タマリと読める。日本語では、タマル、タマール、タマーラとも表記される)は、1184年から1213年にグルジアを治めた、グルジア史上初の女性統治者だ。彼女はずるいどころか、宿敵セルジュク・トルコを撃退して領土を拡大、グルジア王国に最盛期をもたらし、死後、聖人に列された、百戦錬磨の女傑である。セルゲイ・ディアギレフに率いられたバレエ・リュスが、同じくタマラをモデルにした『タマール』をバラキレフの音楽、ミハイル・フォーキンの振付によりパリで初演した1912年からさかのぼること15年、『ずるいタマラ』の初演は、メリトンにとって、グルジア人にとって記念すべき一夜となった。初演時は第三幕だけの上演だったが、1930年代に、ソビエトの時の指導者でグルジア出身のスターリン(本名ジュガシビリ)の要請を受けて全編を完成させた、との後日譚がある。

 このオペラに加えて、メリトンはグルジア民謡の響きを持つ歌曲、合唱曲、宗教曲を作曲し、グルジア音楽の押しも押されぬ第一人者として尊敬を集めるようになった。ペンは剣よりも強し、ならぬ、音楽は剣よりも強し。神学校をドロップアウトしたメリトンは、こうして歴史に名を残したのである。

〈続く〉