バランシンジャーナル 第3回

 〈冬将軍〉と喩えられる通り、ロシアの冬は長く、厳しい。北都サンクトペテルブルクの1月の平均最高気温はマイナス4度、最低気温はマイナス8度、寒波が襲来すればマイナス30〜40度になることもあるという。思いつく限りの装備を整えて、2014年1月5日深夜、サンクトペテルブルクのプルコヴォ空港に降り立った。

 白タクの客引きでごった返す空港ターミナルの外には、極寒の白銀の世界が広がっているはずだった。ところがわたしの頬に触れたのは、体感気温プラス4、5度のやや湿った空気。その後もほぼ連日、気温が零度を下回ることはなく、時折、小雨ないし小雪がぱらつく曇空の下、積雪や路面凍結とは無縁のサンクトペテルブルクを歩き回ることとなった。

 もちろん旅の第一の目的は、振付家ジョージ・バランシン所縁の地を巡ることにある。マリインスキー劇場やワガノワ・バレエ学校博物館を訪れて帝政ロシアの栄華に思いを馳せ、若き日のバランシンが味わっただろう苦楽を肌で感じた。バランシンが出国した後に彼の地のバレエが経た激変を推し量ることもできた。

 1703年にピョートル大帝が建設を始めた古都には、大統領制に移行した今日も、帝政期と革命前後の激動期、ソビエト共産党に率いられたソビエト連邦という、まったく性格を異にする時代の名残りが濃厚に漂っている。それらは年輪のように折り重なっているのではなく、立体的なジグゾーパズルのように縦横に絡み合っており、思わぬタイミングでわたしは帝政時代のロシアに引き込まれ、魅了され、あるいは革命後の混沌に巻き込まれ、驚愕させられ、ソビエト時代を彷彿させる、見ない壁に取り囲まれているような感覚を覚え、困惑した。ロシア革命から約1世紀、ソビエト連邦崩壊から約四半世紀の時が流れたサンクトペテルブルクで、バランシンとバレエを取り巻く光と影を見聞したのだった。


◇ ◇ ◇


 マリインスキー劇場訪問記から稿を起こすことにしよう。バランシンが1920年に入団し、同僚の若手ダンサーと共にヨーロッパ公演に出立した1924年まで在籍した古巣である。

 公演を見る前に、マリインスキー劇場のプリンシパル、アンドレイ・バタロフ氏の案内で舞台裏を見学する好機を得た。サンクトペテルブルクでマリインスキー劇場に次ぐ歴史を持つミハイロフスキー劇場のレッスン教師を兼任し、別途、インタビュー取材を行なったT氏を始めとするミハイロフスキー団員が篤い信頼を寄せる名コーチでもある。

 楽屋口から一歩、内部に足を踏み入れると、優し気なブルーグレーの外観とは打って変わって簡素な廊下沿いに、幾つものドアが並んでいた。時折、わたしがニューヨークで訪問するニューヨーク・シティ・バレエの本拠劇場デヴィッド・H・コーク・シアターや、アメリカン・バレエ・シアターが定例公演を行なうメトロポリタン歌劇場よりも飾り気がなく、こじんまりとした印象だ。上階に通じる石の階段は、獣道さながらに擦り減っている。かつてこの場所を通ってバランシンも仕事に出向いていたのかと思うと、わたしの足取りはさらに軽くなった。

 廊下を行き来し、階段を昇降して、ダンサーの楽屋、トレーニングルーム、マッサージルーム、リハーサル用の小劇場、オペラ用の装置が設置された本舞台等を巡った。稽古場のあるフロアでは複数のリハーサルが同時進行中で、稽古着姿のダンサーが行き交っていた。190センチはある長身の男性が多いことに驚いていると、さらに驚くべきことが起きた。ストラヴィンスキーの「ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ」が聞こえてきたのだ。バランシンが振り付けた全幕作品『ジュエルズ』の第2幕「ルビーズ」の音楽である。メインの稽古場よりひと回り小さな稽古場で、ダンサー達が駆け回っていた。膝を内向きに曲げ、上体を軽くねじった体勢でのジャンプ、 折り曲げた手首に先導された大らかな腕の動き、 目まぐるしい方向転換、刻々と変化するアンサンブルの隊列。どれも紛うことないバランシン振付の特徴だ。

 『ルビーズ』は翌日のマチネの演目だったが、実はわたしはその切符を手に入れることができず、頭を抱えていた。昨今のロシアのインターネット環境は日本よりもはるかに整備されており、ホテルや劇場、レストランでも無料WiFiにアクセスでき、重宝した。マリインスキー劇場のホームページを経由して、日本に居ながらにして切符を購入することも可能だ。直通電話すら難しかったソビエト時代とは隔世の感がある。

 腑に落ちないのは、ロシア語版はいざ知らず、英語版ホームページの情報が必ずしも最新ではないことだ。『ルビーズ』の上演が告知された時点で、チケットはすでに完売。他演目も悩ましかった。滞在中、『白鳥の湖』と『せむしの仔馬』が1回ずつ予定されていたので、配役が分からないまま予約を入れた後に、他日時のスケジュールが配役と共に掲載された。サンクトペテルブルク到着翌日の午前中、ボックスオフィスに馳せ参じたが、ロシアの新年休暇の真っ最中だったため、目当ての公演を含む全公演が満員御礼。お手上げだった。

 バランシンの聖地を巡るためにロシアを訪れたというのに、マリインスキー劇場でバランシン作品を見る願いが叶わないとは。整備されたインターネットのおかげでかえって当てが外れた無念が募り、〈タタールのくびき〉(13〜15世紀、ロシアがモンゴル帝国のキブチャク・ハーン国に間接支配された史実を指す)ならぬ、情報を出し惜しみする〈ソビエトのくびき〉に束縛された気分だった。それ以外にも折々に〈くびき〉を経験していたので、『ルビーズ』のリハーサルに居合わせたのは望外の幸いだった。

 といっても、ダンサー達はさほど熱を入れて踊っているようには見えなかった。バランシン財団から派遣された指導者ではなく、マリインスキー側のバレエミストレスが公演前の場当たりをしている程度。落胆しそうになったが、1999年以来、上演を重ねている作品であるが故の、リラックスした空気なのだろうと考え直した。同団が鳴り物入りでバランシンの『テーマとヴァリエーション』と『スコッチ・シンフォニー』を初上演した1989年とは時代が違うのだ。定例レパートリーになって久しい作品の、公演直前の軽い調整------。そうとらえて溜飲をさげた。

(続く)