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偉大なバレリーナの歴代ランキング

偉大なバレエ・ダンサー(バレリーナ)のランキングです。世界の歴代の順位です。女性と男性。歴史に残る有名なプリマたち。1位はロシアのアンナ・パブロワ、2位はヴァーツラフ・ニジンスキー、3位はガリーナ・ウラノワ。イギリスのラジオ局「クラシックFM」が2014年に選出しました。(MOVE)

順位 名前、説明
1位 アンナ・パブロワ
(Anna Pavlova)
アンナ・パヴロワ
■ 1881~1931年
■ ロシア
■ 女性

バレエ界の伝説的な存在。唯一無二の独特な魅力で、バレエを芸術として表現した。

世界中でツアーを行い、人びとからこよなく愛された。「計り知れない感動を与えるダンサー」と言われた。バレリーナとしての芸術表現そのもののを超えてしまった。妖精のように軽やかで、空を漂っているように踊る。「不世出(ふせいしゅつ)の美の化身」とも評される。

「瀕死の白鳥」の動画では、つま先立ちで小刻みに繊細に移動する様子や、意外と直線的な腕の動きなどが見られる。

慈善活動にも熱心に取り組んだ。




2位 ヴァーツラフ・ニジンスキー
(Vaslav Nijinsky)
■ 1889~1950年
■ ロシア
■ 男性

20世紀初頭のバレエ界に彗星(すいせい)のように登場し、天才的舞踊や創作をあらわした。しかし、僅(わず)か十年後に精神を病み、その後は一生回復しなかった。

舞台に立ったのはわずか10年だったが、新しいダンスの始祖としてだれにも止められない永遠の軌跡を残した。バレエの振り付けも、男性バレエ・ダンサーという立場も、ニジンスキーの登場によってがらりと変わったと言われる。

観客の感性にとてつもない衝撃を与えた。悲劇的な「ペトルーシュカ」に代表される奥行きのある役作り。「薔薇の精」「ジゼル」「レ・シルフィード」で夢と空想の化身になったかと思うと、「シェヘラザード」「牧神の午後」で強烈な官能性な輝きを放った。さらに、「春の祭典」では、ダンス史上、最もラディカルで偉大な変革をもたらした。



3位 ガリーナ・ウラノワ
(Galina Ulanova)
■ 1910~1998年
■ ロシア
■ 女性

20世紀のロシア・バレエを代表するプリマバレリーナ。オデット(白鳥の湖)やジュリエット(ロメオとジュリエット)などを踊り、詩情豊かで優美な古典的バレエで世界を魅了した。

後輩の舞姫、マイヤ・プリセツカヤが現代舞踊の要素を取り入れ、「カルメン」など激しい役を得意とするのと、あらゆる点で好対照をなした。

初舞台は1928年。1932年に踊った「ジゼル」で大好評を博した。1944年、モスクワのボリショイ劇場の専属に。1956年、同劇場バレエ団の初のロンドン公演で絶賛を浴び、国際的名声を確立した。その4年後。「自分の踊りに満足できなくなった」と、突然、舞台を退いた。50歳だった。

以後、同劇場のリハーサル監督として後進の指導にあたり、多くの名バレリーナを育て上げた。求める水準は高く、指導は厳しかった。バレリーナのアラ・ミハリチェンコさんは「自分に厳しかった。だから、自分のバレエに納得できなくなると、きっぱり舞台を降りたのでしょう」としのぶ。

「ロシア文化の体現者」「バレエのお手本」など、数々の賛辞を送られたが、素顔は知られていない。舞台以外で人前に出ることをかたくなに拒み、私生活を語らなかったため、結婚歴があるかどうかも分からない。身の回りの世話をする女性が1994年に亡くなった後は、モスクワ川沿いのアパートで一人暮らしだった。

本人の遺志通り、多くの一流芸術家が眠るモスクワ・ノボジェービッチ墓地に埋葬された。



4位 ルドルフ・ヌレエフ
(Rudolf Nureyev)
■ 1938~1993年
■ ソ連からフランスに亡命
■ 男性

しなやかなダンス。官能的な踊りで、観客を夢中にさせた。ロマンチック・バレエの優れた踊り手でありながら、決して時代遅れに感じさせない。

1993年にエイズによって亡くなった。

「ドン・キホーテ」「ジゼル」「眠れる森の美女」などに彼の演出・振り付けを取り入れている松山バレエ団の清水哲太郎さんは、パリ・オペラ座で行われた葬儀に参列、帰国して次のように語り、その死を惜しんだ。

「ふだんはものすごくやさしくて器が大きく、自分の主張ははっきりするけれど、何でも包み込むようなところがありました。でも踊りについてはとても厳しい方で、バレエの王というような存在でした。全身全霊を傾けて集中力の極限に挑んでいた。センスを磨くため、あらゆることに深く興味を持ち、それをまとめ、表現する技術というのは、何度も一緒に舞台をつくり間近で見ていて、どれだけの恩恵を授かったか、計り知れない」



5位 マーゴ・フォンテイン
(Margot Fonteyn)
■ 1919~1991年
■ イギリス
■ 女性

高貴で洗練されたレディ。美しく小柄。

イギリスを代表し、そして、世界に君臨した。

そのダンスは威厳があり、優しく、穏やかで、安心感を与えた。

第二次世界大戦後に、世界を舞台に活躍した。

1995年には、マイケル・サムスとの共演で、初のカラー放送によるバレエ「眠れる森の美女」を収録した。

「白鳥の湖」でする王女オデットを演じると、技術的にも役作りの面からもだれよりも美しいと絶賛された。流れるようなボディラインと、表現豊かな頭、腕、手の動きであらゆる感情を表現した。

きわめて勤勉で自分に厳しいことで知られる。
パナマの外交官である夫を支えて、パナマでのクーデターに関与し投獄されたこともある。

後年は、政敵による暗殺未遂の末に半身不随となった夫をかいがいしく世話し、夫の連れ子の面倒も見たという。



6位 ミハイル・バリシニコフ
(Mikhail Baryshnikov)
■ 1948年~
■ ソ連を亡命。アメリカ人になる
■ 男性

史上最高のダンサーの一人。

片脚を90度に挙げて保ったままの大回転は完全無比。

切れの良いダブルの空中回転は、いとも簡単にやってのけているように見える。

どんなに複雑な振付でも無駄なく正確こなし、動きのコーディネーションとバランス感覚に優れている。

1974年、カナダ巡業中に政治亡命を申請した。1986年、アメリカの市民権を得て、アメリカ人となった。

俳優としても活躍した。アメリカ映画「ホワイトナイツ」でも一般によく知られている。ブロードウェイのミュージカルの舞台にも出た。



7位 ナタリア・マカロワ
(Natalia Makarova)
■ 1976~2013年
■ ロシア出身。ソ連から英国に亡命
■ 女性

変幻自在のダンスを表現した芸術家。 卓越した順応性を発揮し、喜劇から悲劇まで、様々なスタイルのダンス像を切り拓いた。

ロシア出身。「白鳥の湖」などの名演で称賛を浴びた。 29歳のときに、公演先のイギリスで亡命。 ソ連の窮屈な社会主義から逃れるためだった。 ソ連から最初に亡命した最初の大物女性バレリーナとなった。 その後、欧州や北米のバレエ団に所属し、多様なスタイルの舞台に挑み、表現の幅を広げた。

コントラストに富んだ踊りを特徴とする。 スリムな身体から「並外れた燃え立つようなパワーが発散される」「ロマンティック・バレエの世界では、まったく無重力状態にあるかのように踊る」と、著作「偉大なるダンサーたち」では称賛されている。



8位 アンソニー・ダウエル
(Anthony Dowell)
■ 1943年~
■ イギリス
■ 男性

「イギリス最高の王子役」と呼ばれた。 洗練され、気品あふれるダンス。 自然な優雅さが持ち味。 正確なテクニック。 やたら派手さを追求しない「節度」が、英国紳士的だと称賛された。

アントワネット・シブレーとパートナーを組み、 優れた創作バレエを多数踊った。

ロンドン生まれ。 1964年、「真夏の夜の夢」の初演時に妖精の王役に起用された。

英国ロイヤル・バレエ団の芸術監督時代は、熊川哲也を抜てきした。「今でも彼が、僕をボスと慕ってくれるのはうれしい」と語っていた。 指導者として、体の線を美しく見せ、上半身を使うことをダンサーに要求した。

2005年、東京バレエ団の「真夏の夜の夢」の指導のために来日した。



9位 ゲルシー・カークランド
(Gelsey Kirkland)
■ 1952年~
■ アメリカ
■ 女性

米国ペンシルベニア州出身。ニューヨーク・シティ・バレエに15歳で入団した。1974年にアメリカン・バレエ・シアターへ移籍。プリンシパル・ダンサーを務めた。

世界的なバレリーナ・吉田都は「学生時代に見たアレッサンドラ・フェリとゲルシー・カークランドのジュリエットが衝撃的でした。それまで、古典を振り付けに忠実に踊ることしか知らなかったので、フェリの迫力、カークランドの音楽が体に入っているという踊りに接して、終演後には泣いてしまいました」と語っている。



10位 シルヴィ・ギエム
(Sylvie Guillem)
■ 1965年~
■ フランス
■ 女性





イギリスで活躍するプリマ・バレリーナの大原永子さん

プロフィール

大原永子(おおはら・のりこ)英国スコティッシュ・バレエ団プリンシパル・ダンサー。英グラスゴー在住。1943年東京生まれ。橘バレエ学校で学び、牧阿佐美バレエ団から1971年単身渡英。ロンドン・フェスティバル・バレエなどを経て、1975年スコティッシュ・バレエにプリンシパルとして入団。以来、各国の主要バレエ団への客演を含め、英国を中心に活躍。1988年には牧阿佐美バレエ団の「ホフマン物語」をプロデュース、出演した。英国屈指のバレエ団のスターとして踊り続けた。