大人からのバレエ推進委員会監修

マダム、バレエをご一緒しませんか?

高野達也

太田省吾主宰の転形劇場元演出家。

代表作「もうひとりのアリス」「青い舟の歌」

著書 「現代二等兵物語」

現健康ジャーナル社代表取締役。

第1回 「白鳥の湖」男にとっていい女とは?

ジゼル

「白鳥の湖」を観るたびに,僕はロバート・レッド・フォードの「ナチュラル」を思い出してしまいます。オデットとオディールの役柄の違いを映画「ナチュラル」の中の二人の女性と重ね合わせてしまうからです。
「ナチュラル」は将来を誓い合った純朴な恋人を田舎に残し、大リーグで活躍することを夢見て、列車で旅立つところから物語が始まります。その列車で偶然,妖艶な大人の女性に出会ったことから青年の人生が狂わせられます。そして彼はこのゆきずりの女にピストルで撃たれ将来の夢を見失うのですが、なんと,その後37歳のルーキーとして再び球界に現れ、奇跡のように活躍し、スターの座を射止めます。が、またまた悪の手が忍び寄り,危機一髪を迎えるとかつての恋人が現れ、彼の窮地を救い,ハッピーエンドと相成るわけです。 青年の未来を奪った悪い女はいつもオディールの黒いチュチュよろしく黒い服をまとっており、かつての恋人は白い服を着ています。この服の対比はおとぎ話的で楽しいのですが、きっと「白鳥の湖」から借りたのかも知れません。

ところでお嫁さん選びに美しいオデット姫を見初めるジークフリート王子は至って健全であり、女の身に不幸の陰を知れば知るほど惹かれるのは彼がいいところのボンボンだからです。ところが人生そう簡単にはすんなりいかないものです。我が身を振り返っても青年期には、要は悪い女に惹かれるものです、(歳をとってもかな?)だからジーク君がオディール嬢に参ってしまうのは無理もない話なのです。彼女は彼を引きつけるために魔の32回転フィッテをやらかすのですからいちころです。
余談なのですが、なんでロッドバルトの役は母親でなく、父親なのだろうといつも思うのです。きっとオディール嬢は超ファザコンなのかも知れません。

ところで、現在どこのバレエ団の公演もおおよそ、オデットとオディールは同一のバレエリーナが踊っていますが、この構造になったのは偶然だったらしいですね。天才プティパとイワーノフが振り付けているわけですが、なかなかオディール姫を踊るダンサーが開幕一週間近くなっても見つからなく、窮地の策から「しようがない。じゃあレニャーニにやらせようか」とやったところが大成功。舞台づくりではよくある話です。

この二役を同じダンサーが踊ることは、確かに一人の女性の中に悪なるものと聖なるものが共存しているというふうに見ることが出来るわけです。昼の顔は聖母、夜の顔は娼婦っていうのも観客には納得できるリアリティがあるからです。 それにしてもオデットとジークフリートは湖に身を投げることになるのだが、この悲劇的な結末がまたこのバレエを超然とした崇高な作品に導いていることは間違いないはずです。(心中しない舞台もあるけれど) 実は映画「ナチュラル」も本来、原作では悲劇的結末を迎える物語だったらしいのですが、映画ではかつての恋人には実は青年の子どもを宿し、一人で育てていたことになっており、ラストシーンではその息子と男(ロバート・レッド・フォード)がキャッチボールをしているところで終わります。父と息子のキャッチボールといういかにも米国の理想的な絵が、この作品を大いに評価させるものになったのでした。

嫁さん探しは実に男の事業として難しいことを、僕の歳になると実感するわけですが、(女だってそうだよね)いまは人生80年。男の一生で一人の女性と添い遂げることの至難を「白鳥の湖」は教えてくれるのです。(そんなことを考えるのはおまえだけだって?)

ジーク君がオディール嬢と一緒になっていたらどんなふうにいたんでしょうね。 マダム、こんな与太話しかできませんが、どうぞお許しのほどを。

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